同調圧力と課題の分離①
再び「同調圧力」について取り上げる。
まず同調圧力の意味を詳しく載せる。
詳しく書かれているが、簡単に言うと「正邪とは関係なく多数意見に少数派を強制的に従わせる力」という事だ。
問題は「正邪とは関係ない」点にある。
正しい意見や行動なら多数派になる事も多いし、反発する人を見れば間違いを的確に指摘すれば、ほとんどの人は納得するだろうし、仮に納得しない人が居たとしても少数派でいわゆる犯罪者予備軍のよう扱いになり同じ社会で暮らさないといけない以上、最終的には改善に取り組む。
ところが同調圧力は正邪とは関係無いから発端は数人くらいとしてもあれよあれよと同調人数が増え、明らかな間違いだったとしても正しき少数派がいわば公開リンチ状態になって同調せざるを得なくなる状況へと見事に追い込むのだ。
「赤信号 みんなで渡れば怖くない」
数十年前に流行った言葉だが、この言葉に日本の同調圧力の強さを垣間見る事ができる。
このルーツをたどれば、遥か昔の農耕文化の黎明期にまでさかのぼらなければならない。
ルーツの話をすると長くなるので今回は割愛するが、役割分担と共同作業を効率良くしないといけないために発展した思考が同調圧力なのだ。
本来人は異端を嫌う。過去の歴史をたどれば世界のどこかで異端者達の迫害の歴史に出会うことができる。ところが日本では他国のような異端の明確な設定は存在しない。わかりやすい言葉で表現するなら「なんとなく」「みんなが言うから」「感覚で」などと理屈や論理とは別の世界の感覚で判断してる事がよくわかる。だからターゲットは全国民に可能性が残されている事に全く気づかない。
わかりやすい言い方をするなら「マジョリティ(多数派)」と「マイノリティ(少数派)」が存在していて、日本人はたいした信念も持たずにマジョリティになろうとする傾向が強い。それは日本特有の感覚でとにかくマジョリティになりたいからそうするという私から見るとチンケな感覚で物事を決める。
この同調圧力という魔物は人々の感覚を狂わせて正しき方向には導かないという点においても日本社会の癌の一部と言ってもいいだろう。
ではこの「同調圧力」を克服と言えば言い過ぎなのかもしれないが、同調圧力に屈しない自分らしい生き方のヒントとして「課題の分離」について語りたいと思う。