差別と同調圧力
差別と同調圧力。
一件全く関わりがないように思えるが実はそうではなく密接に関係している。
そのルーツは日本の成り立ちから辿らなければならない。
日本にもたらされた稲作文化。
この文化の普及と共に長く受け継がれてきた「差別」と「同調圧力」が江戸時代になって「5人組」という制度で完全に確立したのである。
「5人組」と同時に自然発生した「村八分」
簡単に言うと「同調圧力」に反発または順応しない人を村社会からはじき出すというもの。
このおぞましい歴史を愚かな日本人達は「伝統文化」の大義名分をつけて現在まで受け継いだのである。
現在でこそ「村八分」は死語になりつつあるが、その意識はマイノリティー差別と形を変えて受け継がてれいる。
問題は日本国内においではこの無意識の力が強く働いている点にあると言っても過言ではない。
自分達と明らかに違う人達に対して侮蔑の眼差しを送り続けている現状を打破しない限り愚かな戦前に戻るか、このまま内部崩壊をして日本のアイデンティティがすっぽり抜けるかの2択になる。
そこで私は「共生社会」という選択肢を設けたいと考えている。しかし、それは良くも悪くも伝統文化を守り続けた日本社会の破壊を意味する。
無くしてはいけない文化を残しつつ、負の遺産である「差別」や「同調圧力」を粉砕する事により、「多様性」を中心とした「差別」のない社会に変化していく。
一人一人が「差別」や「同調圧力」を意識して生きて欲しいと願うばかりだ。