刹那・F・セイエイの世界の歪みを駆逐する

世の中の理不尽と戦う1人のおっさんの提言ブログです。

無宗教と言う宗教

何年前のデータか忘れたが日本の信仰人口(宗教団体に登録されてる人数)は約2億人と言われてる。

日本の総人口の2倍弱だな。

と言うことはある程度の人達が複数の宗教団体に登録していてなおかつ幽霊会員が多数居てるという状況が見て取れる。

 

基本情報はこれくらいにして本題に入る。

 

大抵の日本人は「信仰している宗教は?」と聞かれると「無宗教です」と答える。特定の信仰をしてると言う人より多い。

ところがこの無宗教と言うのが曲者で個々のケースの違いはあれど特定の信仰はしていませんと言いたいのであろう。

外国のケースだと「無宗教」と言えば信念の無い人というレッテルを貼られて下手すれば笑い者になる事もしばしば。でも日本ではスタンダードとされていて一般的には「普通の人」扱いだ。

 

何故こんなに「無宗教」が持て囃されるのか?

 

それは日本の歴史を遡ればよく分かる。

骨格としての転換点は2つあって徳川家康が開いて家光が完成させた江戸幕府の「5人組」制度と江戸幕府を倒した薩長土肥の有志が天皇陛下を担ぎ上げて作った明治政府の「富国強兵」制度が挙げられる。

 

両制度は支配階級と非支配階級をハッキリ分けて非支配階級を自分達の言いなりになるように進めた事にある。

 

そして一番肝心な「同調圧力」にふれない訳にはいかない。そして神社仏閣も権力に同調する事により生き長らえて来たのだ。

その中でも特に戦後は宗教のチャンプル化が進み、子供が誕生と七五三は神社へ御参りに結婚式は神社か教会、そして亡くなるとお寺から僧侶を呼んでお経を唱えてもらうという日本独特の宗教観を現し、外国人から見れば無節操極まりない様相を今も見せつけている。

 

ところで無宗教の人って何を信じているの?という素朴な疑問にたどり着く。答えは簡単だ。

 

自分の都合のいいとこ取りをしてる。

 

に過ぎない。

バッサリ言うと外国人の指摘通り

「大した思想、信条もなく自分の都合で勝手に切り貼りしてその場限りの対応で生きてます」と宣言してるようなもので同じ日本人として凄く恥ずかしく思う。

 

だから私の主観もあるが「無宗教」と高らかに宣言する人は間違いなく「中身のない人」だと言える。

別に共感できる宗教がないから信仰してないと言うのもあるかもしれないが、人は何かを信じないまま生きてはいけないので宗教とは違う何かを信じているのだろうが哲学、倫理の原点である宗教を否定もしくは軽んじてる時点で人として終わってると言わざるを得ない。

 

よく無宗教の人が使う文言でマルクスの「宗教はアヘンである」と引用する人(特にインテリと言われる人に多い)がいるが、これは部分的には間違いないが経済学者が陥る罠みたいな物だと思う。

経済学者は基本「拝金教」の信者だから平気でマルクスみたいな事も言えてしまう。

哲学、倫理、宗教を除いて人の生き方を解ける人がいたら教えて欲しいと思う。

 

無宗教って怖いよね。