無責任という名のレイシズム
まずはレイシズムについての意味を添付
さっとこんな感じ。
いわゆる「差別主義」だと思ったらいい。
でも、今の世の中に蔓延している「不寛容」の精神。そして不寛容な態度をとられても、ヘイト発言やデモに対しても声をあげない人が実に多い。
それはリアルだけではなく言論の自由空間でもあるSNSでも同様だ。
「差別主義」が人を退廃させる事は歴史が証明している。でも現在は主権が国民の国が大多数であるが、国民の多くは主権のありがたさなどは全くわからずただ堕落して人生を送っている人も多い。
ここで大切なのは「義憤」の精神だ。
人として生きる権利を侵害するあらゆる勢力や個人と戦わずして権利を護る戦いはできない。
堕落した人ほど権力者にとって都合のいい駒に成り下がる。
権力者の都合のいい駒が増えれ支配も容易に執行する事ができる。
そうなれば、民主主義以前の帝国主義の復活となるのだ。
逆に言えば「義憤」以外の怒りは争いしか呼ばない事も知っておく必要がある。
義憤無き人は勝手に責任を取らなくなり無責任という名のレイシズムへとなだれ込むのだ。
無責任な態度は世の中の退廃に多大な貢献をする。
このレイシズムの特徴として自覚症状が全くないところにある。と同時に自分は間違ってないと勘違いをするのもこのレイシズムの特性なのだ。
だから私はこれを粉砕したいと思っているが、いかんせん一個人には残念ながら限界があり関わりを持てる人も限られる。
本当は同志が欲しいところだが、人数だけ集めても仕方ないし烏合の衆は意味が無い。
だから地道ではあるがSNSを通じた啓蒙活動が大切なのは言うまでもない。
皆さんも無責任に流されず義憤を持って行動してこそ成長が出来ます。人が人として生きる意味もここにあるから。